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80路の挑戦【Ⅰ】熊野市井戸町 鈴(すず) 木(き) 美(よし) 文(ふみ)

 人は、この世に生を受けたからには、生きなければならない。
脳梗塞で左片麻痺と言う後遺症を受け、この後、どうなることかの「不安と寂しさに苛まれる」毎日であっても、命のある限り生きなければならない。
 わたしは、この度、2年半ぶりに「8 0 路 の 挑 戦 」の一つとして、熊野で一人 生活を始めました。
そんな決断には、次のような動機があります。
 1つは、「脳のトレーニング」のためにパソコンを打って、著書「植物の神秘を追う」を発刊したことです。
 2つは、病院の顧問で、作業療法士の鷲尾先生の「不可能はない」の言葉です。
 3つは、大勢の方々や友人の激励と親戚、家族の支えです。
 4つは、脳梗塞の後遺症を自力で克服した堀尾氏との出会いです。
 5つは、ヘルパーさん・惣菜屋さんの外部支援と安全確保・安否の確認です。
 6つは、堀尾式訓練と自主トレーニングについて
 7つは、健康管理と自主活動について
 それぞれについて、もう少し詳細に述べさせて頂きます。
 
1つは、「脳のトレーニング」のためにパソコンを打って、著書「植物の神秘を追う」を発刊したことについて、脳梗塞発症後、2年目に入り、娘の嫁ぎ先で「訪問リハビリ」を受けている時のことでした。理学療法士の先生から「脳梗塞による左片麻痺」は、左手足の麻痺のみではなく、 脳にも障害があるので「脳のトレーニング」の必要性のあることを指摘されたことです。その「脳のトレーニング」の1つに茨城県理学療法士協会で作文を募集しているので応募するように勧められ、作文を書き、応募しました。
 
 2つは、著書「植物の神秘を追う」の刊行です。
わたしは、小学校の10年間の勤務時に、学校で発行していた雑誌「初等教育」に、「わたしの科学歳時記」の原稿を数回に亙って投稿していました。退職後は勤務時の同僚の勧めもあり、その原稿を整理すると共に、さらに、原稿を 書き加えて、著書「植物の神秘を追う」として仕上げたいと考え、準備を進めていたのでした。そこで、早速、パソコンを送ってもらって、右手のみの不便さはありましたが、パソコンを打つことで「脳のトレ」を開始しました。

 なお、植物図鑑をネットで購入するなどの家族の協力に加え、有り難いことに小学校 勤務時の吉田教頭先生に推敲をお願いしたところ、快くお引き受け戴くことが出来たので、その年の暮れには待望の著書を発刊することが出来ました。お蔭で生きる大きな慶びと共に、これからの人生に希望を持つことが出来たことです。
  
 この章を閉じるに当たり、皆様にお願いがあります。
2年間のリハビリでも「動かなかった指」が堀尾先生に訓練方法をご指導いただき、自主訓練を続けたことで、わずか4ケ月で動き始めたのです。
 歩行は、足首を固定していた装具を取り外し、不安定な歩き方ですが、「杖なし」で 50mは歩くことが出来るまでに恢復することが出来ました。今後の訓練によって、かなりの恢復が期待できると思いますので、この先、脳梗塞 の後遺症で悩んでおられる方々とご一緒に訓練を出来ることが私の残された人生の「いきがい」です。
「脳梗塞の後遺症」は治るのです。元気を出して、ご一緒に訓練しませんか。

 次は、病院の顧問で、作業療法士の鷲尾先生の『不可能はない』の言葉について述べさせて頂きます。 

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