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ケアマネのつぶやき

障害者を拒否する社会

2016年7月26日に神奈川県相模原市にある知的障碍者福祉施設の津久井やまゆり園で入所者19人が刺殺され、入所者・職員を含めて26人が重軽傷を負うという悲惨な事件があった。 当時、ニュースで報道されてときは恐ろしいとんでもないことが起きたと思われた方もたくさんいたことと思う。

  事件からまもなく2年が経ち、犯人の動機や事件の背景などが分かってきた。

犯人の植松被告は「意思疎通できない人は安楽死させるべきだ」と記事で紹介されている。 他にも「障碍者なんていなくなればいい」などと発言をしており、障碍者に対して憎悪のような感情、障碍者は生きる値打ちのない人間であるというゆがんだ確信があったと考えられる。 しかしこうした考え方は植松被告の特異な障碍者に対する感情だと片付けることができるのであろうか。現に、インターネット上でその意見に同調する声が広がるなどの現象が起きている。

  今多くの地域では、グループホーム等の障碍者の施設を建設する話が持ち上がると、その地域で反対運動がおこると言われている。2019年12月23日の毎日新聞の報道によれば、過去5年間全国21都府県で、地域の反対運動で建設中止や予定地の変更に追い込まれたケースが68件のあったとしている。その報道によれば地域の住民から「地価が下がる」「子供たちの安全が脅かされる」 といった声が上がっていると伝えている。

  人が「住みたい」と言う時に、「住んじゃいけない」などは、よほどの理由がなければ言ってはいけないことだと思う。憲法や障害者権利条約とかを持ち出さなくても、そういう権利は誰にもないはずである。

 かってこの地域でも、養護学校を既設の学校に併設するという話が持ち上がった時「子供たちに危険が及ぶ」と反対したのはその学校のPTAであったことを思い出す。こうした住民の意識は、本質的には植松被告の主張と変わるものではないのではないか。

 

そうした考え方の根本にあるのは、障害の有無や人種などを基準に人に優劣をつけ、経済力や運動能力などの生産性がなければ「生きる価値がない」という優生思想である。

優性思想の典型的な歴史的現実が、かってナチスが行った精神・知的障害者の大量虐殺であった。第二次大戦勃発とともにナチス政権は「治癒できない患者を安楽死させる権限」を主治医に与え、全国6カ所の施設で、医師らに「生きる価値がない」とされた患者たちがガス室に送られ殺された。2年の間に精神・知的障害者や治る見込みがないとされた患者7万人が命を奪われ、作戦中止命令が出されたあとにも各地で医師らが自発的に殺害を継続、終戦までに合計20万を超える人が犠牲となったのだ。

津久井やまゆり園での事件や、障碍者の施設を拒否する地域住民。優生思想はヒトラーだけでなく私たち各々の心にも深く関わる問題であり、今日の日本社会が抱えるで根深い問題ではないかと考える。

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