毒親の介護
介護というのは、基本的に誰かが誰かを介護するという形となる。夫婦のどちらかが介護する。お互いの思いがあるのでいい関係で介護が行われることも多いが、老々介護という難しさがある。嫁が舅や姑の介護をするという形は、かって、多く見られたが今は随分少なくなった。それに代わって多くなったのが子、特に娘が親の介護をするという形である。
厚生労働省の調査によると、介護をする人の上位3位は、「配偶者」が25.2%、「子」が21.8%、「子の配偶者」が9.7%となっている。
そんな中で、毒親の介護といったケースもある。これは子供が、多くは娘が、親を介護するということには違いないが、子供が小さいとき、親の身勝手な行動、日常的に暴力をふるったり何かにつけて罵ったり、愛してくれなかったり、必要な世話を怠ってきた、そんな親を毒親という。子供に明らかな悪影響を及ぼし、その心身を蝕み壊してしまうような親である。それでも、子供は成長して、独立し、結婚し別の世帯を営むことにより、しばしこの毒親の支配から逃れることができていた。ところがこの親に介護が必要になり、その子が否応なく親の介護に直面せざるを得なくなる、これが毒親の介護である。「毒親介護」(石川結貴著 文藝春秋)という本が出版さているほどであるから、けっしてめずらしい話ではないのであろう。興味のある方は是非一読いただければと思う。
毒親の介護に直面した時、子供の脳裏には、それまで封をしてきた過去の親への思いが一気に生々しくよみがえる。この世代の親は、親の介護は子供がするもの信じている人が多い。一方、一人っ子や長女は、親の面倒は私しかみる人はいないし、ほってはおけないと思う。これは毒親の介護に関しても同じだ。
今やその立場は逆転したとはいえ、親の理不尽な意見や態度はそう簡単に変わりはしない。そうした場面に直面すると、過去の記憶がファラッシュバックし心は乱れ、激しい言葉もつい出てしまう。
ケアマネジャーは、親の現状への不満と子への要望を聞く。さらに、いかに大変な思いをしてこれまで生きてきたのか、その人の人生の物語に話が及ぶ。貧困や家族の不和、暴力・・・語られる話は時として想像を絶するものであることが多い。
一方葛藤を抱えながら介護にかかわらざるを得ない子からは、過去の許しがたい親の仕打ちに対する思いや今の気持ちを、これまた、ただただ聞くしかない。聞くことによって少しでも心の中の複雑な感情を整理できればと思うが。心の中に刻まれた深い傷はそう簡単に癒されることはないようである。
そんな中で、少し距離を置けるようにすることが大切だと思い、デイサービスやショートステイの利用を勧める。介護者の負担の軽減はこのようなケースの場合、もっとも大切な支援になると思う。
それでも困るのは具体的なサービス利用について意見の対立がある場合である。ショートステイを利用してほしいと考える子、親の面倒は子供がみるものと信じて疑わない親はそれを受け入れようとしない。交わろうとしないこの意見の対立の中でケアマネジャーは思考停止に陥ってしまう。
いろいろと葛藤を抱えながら、介護する子とされる親の双方の話を聞きながら、ケアマネジャーとしては、行けるところまで行くしかないという気持ちになったりもする。それでも親の介護が終わった時、子の気持ちの中に、いろいろあったけど親を見送ることができてよかったという満足感が少しでも心の中に生まれてもらえればと思うのである。交わることのない親子の関係、死をもってしか和解しえないような関係もあるのかもしれない。