サービスを拒否する人々(その1)
長年ケアマネをやっていると、時々こんな高齢者と出会う。「ほっておいてくれ」「『お上の世話』にはならない」と言い、介護保険のサービス利用を頑なに拒否する人たち。どちらかというと男性の高齢者に多いように思うが、なかには女性の高齢者もいる。もちろんそうした高齢者が客観的に困った状態になければいいのであるが、何か月前からか散らかったままのカップラーメンの容器や積み重ねられた総菜用のトレーから、この人はまともな食事ができているのだろうかと疑う。移動が不自由なのか、本人の手の届くところにあらゆるものを置いているため、本人の寝るスペースの周りにうずたかく積まれた衣類や日用品はゴミなのか必要な物か我々には判別できない部屋。それほどひどい部屋の状態ではないが、訪れる人もない孤独な生活が推測される高齢者。医者にもかかっていないというから健康状態も心配される高齢者等々。心配なのは虐待が疑われるような家庭もある。
遠くに住む子供たちの依頼や、見かねた親せきや地域の人からの依頼で我々はこうした高齢者を訪問するのであるが、ここで出会うのがなんとも頑固な高齢者たちである。しかし概して、こうした高齢者もお話は嫌いではない。若かったころの軍隊の話や、自慢話と苦労話が入り混じったお話が続く。きっと何日も他人と話をすることが無かったのであろうと、なるべく付き合うようにしている。しかし肝心のサービスの話になるとそっぽを向いてしまう。
こうした高齢者には認知機能の低下や、精神的な障害をその背景に持っている人たちがいることもある。そうした場合はしばらく付き合わないとすぐにはわからないことが多い。その人固有の価値観もある。他人から見ればゴミにしか見えないものでも本人にとっては価値のある物であることもある。ともかく人の世話にはならないという自助意識を、強く持っている人もいる。元気なうちはそれでもよかったのであろう。しかし高齢とともに足腰が言うことを聞かない状況になったにもかかわらず、それを認めようとせず、頑なにその価値観にしがみついている高齢者は珍しくない。その辺は、「老年期のパーソナリティとは、若い頃から引きずっている『その人らしさ』を核にしているが、老年期は脳の老化という生物学的な問題がそこに関与してくる」「よく見られる変化は、行動や理性の抑制が効かなくなり・・・」「これまでの性格傾向が強調される。『尖鋭化』とも言われる」※1といった高齢者の性格変化が影響しているのかもしれない。
そうした背景には社会的孤立があるという指摘もある。日本の社会は地縁、血縁、社縁といった人と人のつながりを大切にしてきたと言われている。しかし今や社縁とは遠くなり、子供たちとは遠く離れ、多くの同級生や知人には先立たれた男性の高齢者が、社会的に孤立していくのが今日の高齢者の現実なのであろうか。さらに進むと「孤独死」ということになる。この「孤独死」の8割が男性だというデータもある。
こうした中で新型コロナウイルスの感染リスクを避ける社会的習慣を求められる中、スマホやネットという手段を持たない高齢者にとって、訪れる人がなくなり社会との繋がりが減ることにより、その孤立化がさらに進むのではないかと懸念する。
さてこうした高齢者に、ケアマネはどのように挑戦するか、次回考えてみたい。
※1「高齢者の孤独と豊かさ」竹中星郎著