サービスを拒否する人々(その2)
介護保険のサービスを拒否するこうした高齢者を前にしたとき、ケアマネジャーの心は揺れる。何とかしてこうした高齢者に心を開いてもらい、現状を改善したいという、対人援助の専門職としての挑戦の心、意地といってもいいかもしれない。一方では、しょせん、人間はその人が生きてきたように老い、死んでいくもの。そうした人間の性には抗しがたいものであるという気持ち。最初は前者の挑戦心が心を支配するが、事態が困難だと、後者の思いはよりいつそう強まる。
とりあえず、傾聴に徹することとなる。「ほっておいてくれ」という高齢者の、言葉で語られない水面下の思いを探り、観察と積み上げてきた直観力で高齢者を理解しようとする。高齢者がなぜサービスを拒否するか、ということを理解するためには、相手がどのような思考のプロセスをたどって現在の結論に行き着いたかを理解する必要がある。
こうした中で、場合によって虐待が疑われたり、病気の悪化 孤独死等の最悪の事態が予測される場合は、行政機関と連携しながら介入に踏み込むこともあるが、基本的には「待つ」ことしかない。昔話を聞きながら、信頼関係を醸成することに徹し、ひたすら時が来るのを「待つ」ということが多い。
こうした高齢者に働きかける人が変わると、意外と局面が開けることもある。高齢者の心は一色ではない。ケアマネと出会うとき、サービスを勧めるケアマネは「お上」そのものとして捉えられ、反応として拒否感が前面に出る。そうでない人との間では高齢者の心のうちの別の思いが打ち明けられることもある。人の心とは決して一色ではない。時と、話し相手によって、ずいぶん違うことが語られることは、日常でもよく経験することである。医師から話をしてもらうことにより、一気に事態が変わることも時としてある。
経験的な感じとしては、ケアマネジャーのあの手この手の努力にもかかわらず、事態が変わることなく推移していくことの方が多いような気がしている。そしてある時、事態が変化する。病気の悪化や転倒骨折等で入院したり、あるいは高齢者を取り巻く環境の急変により、従来通りの生活を維持することが困難であることを、否応なく本人が認めざるを得なくなる時が来たとき。ケアマネジャーはそれを待っている訳ではないが、介入の絶好の機会であることは間違いない。この機を逃さないことが大切だと考えている。
こうした、援助が必要であるにもかかわらず、自発的に申し出をしない人々に対して、支援者が積極的に働きかけて支援の実現をめざすことをアウトリーチという。相談窓口はあっても、支援が必要な人に届いていないということはよくある。ケアマネジャーにとっても重要な機能の一つであると考える。
しかし、介護保険制度の中で仕事をするケアマネジャーがこうした事例にかかわり続けることは難しい。こうした高齢者にかかわったとしても、介護サービスの利用につながらない限り、ケアマネジャーには報酬が生じないのである。多忙なケアマネジャーにそうした努力を強いることには無理がある。
そして、なるべく援助者は一人で抱え込まないことである。そして必要な人たちに相談し連携していくことが大切であると考える。そして同時に、地域でこうした声をあげられない人も含めて、支援につなげるような体制ができることが期待される。