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ケアマネのつぶやき

――がんと向き合う人たちの最期を支える――

 日本人の2人に1人は生涯で1度はがんになり、3人に1人はがんで死ぬという時代。当然、がんという病に向き合いながら自宅でその最期を迎える人は少なくない。ケアマネジャーのこうした利用者とのかかわりは、がんになる前から利用者としてかかわっており、その途中でがんを患うこととなった利用者と、がんと診断され病院で治療を行った後、最期のひと時を家族とともに過ごしたいという希望で自宅に帰るため、ケアマネジャーとして依頼を受ける場合がある。

その1 

病気を抱えながらも、気ままな一人暮らしを楽しんでいた女性は、94歳の時すい臓がんと診断された。一人娘にも早くから「自分は入院だけはしたくないから」と伝えていた。がんと告げられる前からの担当していたケアマネジャーにも、繰り返し「入院とは言わないでよ」とその思いを語っていた。

一人娘は「本人があれほど望んでいたから、やっぱり家で生活できるように介護していきたい。でも自分一人では不安なので、相談できる人がほしい」「本人は、夜は一人でいいと言っているので、夜は自分の家に帰るようにする。朝になり行ったとき何かがあっても覚悟はしている」と述べていた。

訪問診療の医師、訪問看護師、ヘルパーの訪問と福祉用具の利用で娘の介護の支援が行われていった。ケアマネジャーがサービスの提供にあたり困ったことは、終末期に対応できるヘルパーがその訪問介護事業者にはいなかったことであった。

日々状態が変化し、間もなく最期を迎える二週間前になると、本人は点滴や酸素も希望し、医師から素早い対応がなされたことは本人、家族の安心感をもたらすものとなった。痛みが強いときは鎮痛剤を服用したが、飲むか飲まないかは自分でコントロールしていた。そうした中でも終始一貫して「入院はしたくない」と気丈に振る舞った。最期は娘の介護を受けながら、穏やかに本人が希望していた自宅でのその時を迎えることができた。

その2

Tさんは80歳、加齢による体力の低下はあるものの特に体調不良というわけでもなく、退院して間もない妻のために、買い物や通院の車を運転し、二人で穏やかに暮らしていた。そんな時、妻はTさんの腹部が異常に大きくなっていることに気づき、ケアマネジャーに相談、すぐ病院受診となり、すい臓がんの末期と診断される。思いもよらない結果であったが、Tさんは、医師の告知に冷静に耳を傾け「あとどれだけ生きられるか」と質問し、「もう治らないのなら、入院しないで最期まで家で過ごしたい」とその場で意思決定した。

妻は「自分も健康に不安があるので無理はできないが、夫の言うとおりにしてあげたい」。同席していた息子たちも「父の思うようにしてあげたい」と交代で帰省して両親の手助けをすることとなる。

医師による訪問診療、訪問看護師による医療面での支援、更に、妻の体調が心配なときにはすぐに入院に切り替えるというカンファレンスでの方針は、家族の安心感をもたらし、在宅での看取りの支えとなった。

Tさんの状態とともに、体調が十分ではない妻に対しても、在宅支援のスタッフは常に心を配り、訪問の度にお互いに状況を報告しあって、連携を密にした。死期がせまった時期は、ケアマネジャーは集中してほぼ毎日訪問し妻を支えていくこととなる。

妻は「夫の思い通り最後まで家にいることができて、苦しむこともなく逝ったので、思い残すことはありません。お世話になったみなさんに感謝します」息子は「父の思い通りにしてもらえてありがたかった。母も大変だったと思うがよくやってくれた」と、Tさんの死を穏やかに受け止めた。

訪問診療の主治医は、死亡診断をした後、たばこが好きで最期まで喫煙を楽しんでいたTさんの枕辺に一本の煙草を手向け、その煙はゆっくりとTさんの顔のあたりを漂っていた。

ケアマネジャーは次のように振り返っている。

痛みや苦痛が比較的軽度であったことが、妻が過労に陥ることなく在宅での最期を可能にした一つの要因であった。さらに、在宅での看取りは、本人と家族が主人公。自分たちは下から支える支援者であるという「立場をわきまえた立ち居振る舞い」を心掛けたい、と語っている。

その3

ガン末期の方がその最期の時を自宅に帰って、家族とともに過ごすことを希望することがある。そうした場合、ケアマネジャーに病院から、「ガン末期の方が帰りますのでよろしく」と依頼されることがある。

 その方にとって多分最後のひと時となるであろう自宅での生活を少しでも快適に、心穏やかに過ごしていただけるように、集中して心配りをしながらの短い期間のお付き合いとなる。

 ここで問題となるのは介護認定が間に合わないため、介護サービスが利用できないという場合が多々あるということである。そうした利用者に、残された時間はそんなに多くあるわけではない。入院中に介護認定申請をし、認定を受けていただいていれば問題はない。自宅へ帰ってから、ケアマネジャーが認定申請代行を行うこととなると介護認定が間に合わないこととなる。

Aさんの場合

 月曜日の午後、O病院の地域連携室から、「がんの全身転移で末期の方ですが、在宅に帰られますのでよろしく」と電話をもらう。翌日火曜日、訪問し介護ベッド利用と訪問看護の手配を行う。同時に介護認定申請を行うことを確認、同日認定申請代行を行う。保険者の認定係に、ガン末期のため至急認定調査を行っていただくよう依頼し 、木曜日認定調査の予定となる。ところがその日、あいにく利用者の体調が悪く病院受診のため認定調査を行えず翌週の月曜日に認定調査を変更する。しかし、その日曜日、急変しお亡くなりになった。在宅で家族に囲まれてのわずか1週間。ご本人や家族にとっては十分意味のある時間を過ごすことができたのではと思う。しかし、介護認定ができなかったため、ベッドは自費でご負担いただくこととなった。

Cさんの場合

 K病院から、がんの末期の患者さんですがケアマネジャーをしてもらえないか、との依頼があった。それがあったのが月曜日の午後である。翌日利用者さん宅を訪問する。訪問看護については病院からかかりつけ医への連絡があったため火曜日からの訪問が決まった。利用者や家族と相談し、とりあえずベッドと車いすの手配を行う。その後かかりつけ医からのトイレまでの車いすの利用は困難、ポータブルトイレが必要との指示で、急遽ポータブルトイレを届ける。しかし、介護保険の認定が間に合うかどうか、もし介護保険の利用がダメな場合も考慮し、ポータブルトイレはケアマネジャーの事務所に偶然保管してあったポータブルトイレを搬入した。そんなドタバタの中で、何とか介護保険の認定申請が間に合えばと考えていた。しかし土曜日、ご家族に見守られて最期を迎えることとなった。

 

残念ながら、介護保険はこうした最後のひと時を在宅で過ごそうとする人々の願いを保障するものとならない場合がある。医療保険はこうした時でも臨機応変に対応することは可能である。訪問看護はこうした場合医療保険で行われるため、何とか対応可能となる。ところが介護保険は、認定申請、訪問調査等々一連の手続きを経て概ね30日ほどでサービス利用が可能となる。少なくとも、認定調査を済ませることは必須となる。今回のように一刻を争う場合は、この介護認定システムでは対応できないこととなる。

 いずれのケースにおいても在宅で生活を過ごすことができるのは短い限られた期間でしかないことが多い。ケアマネジャーは限られた期間に何ができるのか、利用者や家族の思いも引き受けながらそこでこの問題を解決するために集中して取り組むこととなる。ことに利用者の死を間近にひかえたケアは精神的にも緊張感を強いられる。長期にわたる高齢者の介護とは異なるケアマネジメントを行うことが求められている。

 ここで介護保険が成立しないと、ケアマネジャーの取り組みは全く評価されないこととなる。同時にこの間の介護サービスはすべて自費となり利用者の負担も大きい。

(内容は一部修正しています。後半部分は以前の「ケアマネのつぶやきの」で掲載したものを再掲)

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