家で死ぬ(その4)
――突然の家での死―-―
人間の生き様は様々であるように、家で最期を迎えるといってもその最期のありようは一様ではない。ある日訪れる突然の死。ヘルパーや家族が訪れたとき、冷たくなって在宅で発見される高齢者。そんな在宅死もある。
Tさんの場合
Tさんは認知症があったが車の運転には強く執着した。「車の運転には自信がある。車や免許証のことは身内でも勝手にはさせん」一人暮らしではあったが近くに住み、世話をしてきた娘とケアマネジャーにとって車の運転をいかに止めてもらうかが最大の課題であった。 その日、娘が同行し病院を受診した。血圧が高く、心臓疾患の状態がよくないので、医師からは入院加療の必要性が指摘された。しかし、その日はそのまま帰宅した。夕方再び訪問した娘が発見したのは、自宅の一室で倒れているTさんの姿だった。心肺停止の状態で娘が警察に連絡し対応することとなった。幸い午前中に病院受診をしていたため、主治医により死亡診断書が作成され、大きな混乱もなくことは進んだ。
しかし、これまで何くれとなく世話をしてきた娘にとって、突然の父の死を認めることは難しかったようで、しばらくして訪問したケアマネジャーに「まだ実感がわかない。変な感じです。つい最近まで毎日のようにわけのわからん電話がかかってきたり、薬を飲んだか、食事は食べているか、気になることばかりだったのに・・・」と語っていた。Tさんは76歳、自宅でその最期を迎えたのである。
Aさんの場合
Aさんは妻に先立たれ、一人暮らしを続け94歳となっていた。近所に住む長女が毎日訪問し世話をしてきた。頑固で、医者嫌い、介護保険などAさんの眼中にはなかった。
長女は、高齢な父親に対し頑固で言うことを聞いてくれないと悩みつつも、父が建てた家で余生を過ごさせたいと考えていた。
ケアマネジャーがAさんと初めて面接することができたのは亡くなる3日前、娘さんの強い勧めと、最近の食欲の減退、体調不良もあり、介護保険の申請を行い、和式トイレを改修することを了解した。
その日、ケアマネジャーは住宅改修の相談のため業者とともにAさん宅を訪問した。その時もAさんはにこやかに対応されていた。夕方娘が訪問すると炬燵に入ったその姿のまま亡くなっていた。娘から電話を受けたケアマネジャーは救急車の手配をするように娘に話す。その後、病院に搬送され病院で死亡が確認されることとなる。
Aさんとケアマネジャーとの関わりはわずかな期間しかなく、介護保険の利用も成立しなかった。ケアマネジャーにとっても「仕方ないかな」「これでよかったのか」という思いがよぎることとなった。突然の死であったが、94歳、自分の建てた家で、炬燵に入って亡くなった。まさに、これこそが大往生と言っていいのであろうとも思えた。
ここで紹介したように、家族やヘルパーによりその突然の死が発見され、ケアマネジャーに連絡がくることがある。こうした在宅での突然の死を予測することは難しい。しかし、ケアマネジャーはいつ訪れるかわからないこうした突然の最期への対応の想定は必要であろう。なぜなら高齢者の在宅での最期を尊厳あるものとして送り出すためにも。