家で死ぬ(その5)
――「家で最期を」という願いを阻むもの――
これまでも何回もふれてきたように、介護保険は家族等による介護を前提として設計されている。したがって、在宅でいわゆる看取りも含めて、最期まで看きるためには家族やそれに代わる人の支援が求められる。これを確認したうえで、「家で死ぬ」ということをめぐるいくつかの課題を考えてみたい。
高齢者の思い
これまでの各種調査で、多くの高齢者は最期まで家で暮らしたいと願っている、といわれていた。しかし高齢者の思いはそれほど単純ではないようである。93歳のある高齢者は「隣の人も 〇〇さんも、××さんもみんな施設に行ってしまった。話し相手がいないので寂しい。子供に迷惑をかけられないし、自分も認知症になったら施設に行かなければと思っている」と語っている。高齢者は、最期まで家で暮らすことができればという願いと同時に、自分のことができなくなったり、認知症になったりしたら家にいられないだろうと考えている。多分こうした思いは多くの高齢者に共通するものではないかと考える。
そんな中で、頑固と言われようと、自分は最期までこの家で暮らし続けたいと強く願い主張することによって、家族をもその協力者として巻き込みながら、その願いを実現することができるのではないであろうか。「最期まで家で」という高齢者本人の強い思いこそがその実現につながることとなる。
家族の意向
この地域は、若い人たちの都会への流出が進み、残されているのは高齢者夫婦、しかもその一方が亡くなった一人暮らしの高齢者が多いという、日本のいわゆる過疎と言われる地域に共通した特徴をもつ。そこでは家族等の何らかの支援が可能な、恵まれた者は限られた存在とならざるを得ない。「最期まで家で」という高齢者の思いを家族が受け入れ協力体制を作れる家族と、そうでない家族によって高齢者の願いは左右されることとなる。
一人暮らしをしている高齢者と離れて暮らしている子供たちに対して、「一人で置いておいて大丈夫?」という親戚や地域の人たちからの言葉は、それが善意から出たものであったとしても、子供たちにとって大きな圧力として感じられることはよくあること。子供たちとしても地域の皆さんに迷惑はかけられない、との思いもある。そんな場合、都会で暮らす子供たちの選択肢は、自分の家に引き取る、そして近くの施設に入所先を探すことになるか、それとも、この地域の施設に入所できるようケアマネジャーに依頼するかということになる。
一人暮らしの親を心配した子供は、肺炎での入院を機に子供の自宅に引き取ることを決意した。それは、一人暮らしの「高齢の親をほっておいて」という世間の目に対する配慮もあるし、何かあるたびに駆け付けなければならないわずらわしさもあったし、何よりも育ててくれた親に対する子の義務という気持ちが強かった。
しかし、引き取られた母親は、これまでの気儘なひとり暮らしと違う新たな悩みを抱えることとなる。「何もしなくていい」と言われるが、何もしないでいることの方がはるかに辛いことに気づく。夜トイレに頻回に行くことも気兼ねをしなければならない。孫やひ孫の顔を見ることができるのが、ほんの少しの楽しみになった。たまに電話をする親戚からは「老いては子に従え」と言われるが、何とか元の気儘なひとり暮らしができないかと、ケアマネジャーに訴える。この場合も「住み慣れた家で最期まで」という願いは絶たれることとなる。
高齢者がその最期を家で暮らし続けたいと願うなら、早い時期からよく家族と話し合って、自分の思いを伝えていくことが必要ではないか。「老いては子に従え」という主体性を放棄した生き方では、その人生の最後を納得いくものにすることは難しい。
在宅医療
在宅であれ、施設であれ人の最期を考える場合、医療の支援は不可欠である。近年は在宅医療を重視する流れもあり、特に在宅療養支援診療所の存在は大きい。この地域でも紀宝町にできた「くまのなる在宅診療所」はもっぱら在宅の訪問診療を行う医療機関として大な役割を果たしている。しかし「くまのなる在宅診療所」は地域的な限定があり、この地域のすべてをエリアとしていないため、かかりつけ医として地域で診療にあたっている開業医の先生方の訪問診療も、高齢者が最後まで家で暮らし続ける不可欠な役割を果たしている。そして、こうした医師との連携を取りながら、在宅の高齢者に寄り添い、家族を支える訪問看護師の役割は何よりも大きな役割を担っている。
では病院の役割はどうであろうか、病院は急性期の疾患に対応しその診断治療を行う。特に癌の末期を在宅でと決めた人にとって「苦しくなったらいつでも来てください」という言葉は何よりも心強く頼りになる存在である。しかし、「最期まで家で」と考えていた高齢者が、何らかの病気で入院した場合、「今の状態では家は無理です、施設を探しましょう」と言われることがある。そう言われた家族は、在宅に連れて帰ることを断念し、施設入所を探すことになる。確かに病院での状態を見るとそうした判断もやむなしかと思う。しかし、そんな高齢者が馴染んだ家に帰ると、元気を取り戻すことがある。これを科学的に説明することは難しいかもしれないが、そんな事例をたくさんケアマネジャーは見てきた。これを「在宅の力」と呼んでいる。自宅で大往生をしたいと思う高齢者は、病院に近づかない方がいいのかもしれない。
「家で最期まで」というテーマでこれまでケアプランセンターあすかのケアマネジャーが関わってきたいくつかの事例を紹介し、ケアマネジャーの思いを述べてきた。一方に偏した、というご批判もあることを承知の上である。特に教科書的な正解を述べるつもりはないのでお許しいただきたい。ただこれだけは言っておきたい。「家で最期まで」と願う高齢者がいればケアマネジャーはその気持ちを大切にし、寄り添い、その実現のためにいろいろと模索する。それが、厳しい現実の中で徒労に終わることが少なくないのであるが。