超高齢者の心
先に示したように、日本老年学会と日本老年医学会が示した高齢期の区分は下記のとおりである。
65~74 歳 准高齢者 准高齢期 (pre-old)
75~89 歳 高齢者 高齢期 (old)
90 歳~ 超高齢者 超高齢期 (oldest-old, super-old)
今回は90才以上の超高齢者といわれる人々のケアに関係して考えてみたい。今日、90歳を超える高齢者は決して少なくない。100歳前後の超高齢期の利用者を担当するケアマネジャーもいる。
近年、加齢に伴って身体的機能の低下、認知機能の低下、人間関係の喪失等ネガティブな状況が増えるにもかかわらず、こうした超高齢者の幸福感は決して低くない、というエイジングパラドックス(Aging Paradox)と呼ばれる現象が注目され、様々な研究が行われている。増井幸恵はこうした現象を老年的超越として次のように説明している「中年期や前期高齢期までのいわゆる『生きがい』となるものを喪失しても,老年的超越という考え方や価値観の変化を発達させることにより、幸福の源となるものを変化させ、幸福感を高く保って生きている超高齢者や百寿者の姿」※1があるとしている。たしかに我々ケアマネジャーもこうした超高齢者に出会うことがある。
この老年超越とは、スウェーデンのTornstamという社会学者が1989年に提唱した概念であり、高齢期に高まるとされる『物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化』と定義されている。この定義はやや難解であるが、日本人的に言えば「『おかげさま』といった他者により支えられていることと認識し、他者への感謝の念が強まる」「神仏の存在や死後の世界など宗教的またはスピリチュアルな内容を認識する」「あるがままの状態を受け入れる」といった超高齢期の高齢者の心理の変化があると考えられている。こうした変化が老年超越といわれ、超高齢者の穏やかな幸福感というものをもたらしているのではないか。また、自分自身や身近な人の病気、死別、離別という人生の危機を経験した人のほうが老年的超越がたかくなるとも言われている。
しかし、現実はこうした超高齢者ばかりではない。「早くお迎えに来てほしい」「長生きしすぎた」「この年になって生きている意味もないのが辛い」と訴えられる超高齢者も少なくない。こうした超高齢者にケアマネジャーはどのように答え、適切なケアを提供できるのであろうかと考える。百歳近くなれば同級生はもちろん知人や親しくしてきた人達もすでに冥府の人となったり、たとえ命を保っていたとしても施設に入所してしまっている。「そして誰もいなくなった」状態である。そこには深刻は孤独があるのかもしれない。今日、社会的孤立は高齢者にかかわらず大きな課題であるといわれているが、超高齢者のそれも高齢者ケアの課題であり、ケアマネジャーにとっては実践的な対応を求められているといえる。
ここで高齢期の定義にかかわって述べてきたが、もちろん一人一人の高齢者にとってはさまざまであり、老いというのは百人いれば百通りの老いがあることはお断りしておかねばならない。しかも年齢には暦年齢と主観年齢がある。主観年齢とは、自分が幾つと感じているかという年齢である。高齢になるとどちらかというと主観年齢と暦年齢の差は大きくなるといわれている。「若くありたい」という思いがそうさせるのであろうか。「デイサービスなんて年寄りのいくところ。そんなところに私は行く気はない」と言い放つ80歳代の高齢者の主観年齢はいったいいくつなのであろうか。概して主観年齢と暦年齢の差の大きい高齢者は自らの老いの受容がうまくできなくて、必要な援助を受け入れにくいようである。
※「超高齢社会における生きがいと老年的超越」増井幸恵 「生きがい研究」27