地域包括ケアは過疎地で機能するか?
最近の新聞の隅っこに、次のような記事を発見した。『過疎地域』に指定される自治体が、2022年度に全国1718市町村(東京23区を除く)の51・5%にあたる885市町村に上ることが分かった。過疎自治体が5割を超えるのは1970年の指定制度開始以降初めて。地方の衰退が深刻化」という記事である。過疎地域面積はすでに平成22年に日本国土の57.3 % になっているという。
なぜこの記事が気になったかというと、国が推奨しようとしている地域包括ケアというモデルが果たして過疎と言われる地域で有効なのかという、かねてからの疑問があったからである。
地域包括ケアとは、「団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を実現していきます。」(厚労省ホームページ)と説明されている。その目的は「重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続ける」ことである。
私は20年余り、この過疎地と言われる地域で、高齢になっても「住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続ける」このテーマに取り組んできた。このテーマは多くの高齢者の心からの願いであり、ケアマネジャーの使命でもあると思うからである。しかしながら、その実現の困難さを日々に感じることとなっている。多くの高齢者とその家族は在宅で暮らし続けることではなく、施設を選択される方が多いのが現実である。
住み慣れた故郷に暮らす高齢者が、夫婦二人のうちは何とかなる。そのうちいずれは一人となる。その一人が重度な介護が必要になったとき、多くの高齢者の家庭には子供たちはいない。子供たちは高度経済成長の担い手となって多くは都会に出ていき、そこで居を構え、家庭を営んでいる。親の介護が必要になったからといって、おいそれと帰ってこれる状況にはない。これが過疎地の現状である。
残された高齢者の介護を担うのが介護サービスである。しかし介護保険は、家族介護を前提として設計されているので、家族で介護の期待できない重度の要介護状態にある高齢者にとつて、住み慣れた家で暮らし続けるということは大変難しい選択となる。
国もそのことは重々承知しているから、残された地域の助け合いで何とかしようということで地域支援事業といった制度を作り、助け合いをシステム化しようと試みているが、これも必ずしもうまくいっていない。なぜならそうした過疎地域には担い手となる人がもともといないのであるから。いろんな学者や評論家は、人生100年時代、元気な高齢者がいるからそんな高齢者に担い手になって活躍してもらおうという。確かに過疎地にも元気な高齢者はいる。ただしこうした元気な高齢者に、少し生活に支障が出てきた軽度な要支援、要介護の人たちに対する生活支援は期待できても、重度な高齢者の介護を期待することはどだい無理な話である。
その結果が「重度な介護が必要になったら」「認知症になったら」施設に入る。これがこの地域の高齢者やその家族の常識である。入所先の施設探しがケアマネジャーの利用者に対する最後のお仕事である。もちろん、施設での高齢者のケアの重要性を否定するものではない。それしか選択肢がないというのが問題である。
国は地域包括ケアのシステムを公助、共助、互助、自助に分けてそれぞれが役割を担い実現すると言っている。しかし、共助の中心となる介護保険が不十分で、互助となる地域での助け合いが期待できないとすれば、残りは公助と自助しかない。これではうまくいかないのだ。
結論 過疎地と言われている地域以外で、国が進めている地域包括ケアシステムを構築することは可能かもしれない。しかし過疎地でこのモデルにより「重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続ける」ことは困難であると、私は考えている。だから「地域包括ケアシステムの構築とケアマネジャーの役割」などと言って講演する人たちを、私は信用できないと思っている。