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つぶやき

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ケアマネのつぶやき

生きること そして目標   

人間は誰でも、日々の生活の中で、あるいは人生の中で、それぞれ目標を立てその実現のために生きている。普段、我々はそのことを特別に意識してはいないが、明日の予定や自分の生活設計を考えない人はいないであろう。

これは、人類の発達の歴史の中で、他の動物にはない前頭連合野の発達を実現したおかげであり、これにより、時間を計算し、将来を予測する能力を持つようになった。そして、人間に固有な「将来の結果の精神的先取り」としての希望や目標の設定、つまり今ここには存在しないことが、未来には可能なこととして頭の中に想定できる、人間に固有な能力を持つことができるようになったのである。人はあらゆる意味で明日に向かって生きているのである。

未来への希望や目的の設定が人間に固有な力であるとすれば、それが失われるとき、心の中で未来が閉ざされるとき、そこには非人間的な貧しさと絶望がおとずれる。

フランクルは、いつガス室に送られるかわからないアウシュビッツの強制収容所の体験から、その著書「夜と霧」の中で次のように述べている。

「何の生活目標ももはや眼前に見ず、何の生活内容も持たず、その生活において何の目的も認められない人は哀れである。彼の存在の意味は彼から消えてしまう」

高齢者にとって、その老いは死を間近なものとして、残された時間を限りあるものとして考えざるをえなくさせる。また、肉体的な衰えはその能力の低下とともに未来の可能性を狭隘化させる。さらに病とそれに伴う苦痛は希望や目標を萎えさせるという現実に立ち向かわねばならない。「長生きしすぎた。早くお迎えに来てほしい」と嘆く高齢者は、生きる目標と役割の喪失が大きいと考える。

 さらに、家族や他者に支えられて生活が可能になる要介護状態になると、その生活のあらゆる面で自己決定の機会を失い、依存的な存在とならざるをえない事態に直面することとなる。目的が本人の考えではなく、他者(外部)の力によって他律的、一方的に設定されると、その結果、意欲や能力は失われ、生きがいの喪失を生み出し、自発性、自立性を損なう結果となる。自己決定権の喪失が目的疎外を生みだすことになるのだ。

 こうした要介護高齢者の現実は、フランクルの指摘した強制収用所で、明日の生の保障のない人々と同じく、その存在の意味を失はせるものになっているかもしれない。

 こうした要介護高齢者が未来への希望や目的を取り戻すためには援助が必要である。そこでは、先ず目標を設定することを、高齢者自らの手に取り戻さなければならない。自己決定権は無条件に保障されなければならない。同時に、要介護高齢者にとって目標を設定する能力の問題がある。目的意識性とは単なる心がけだけではなく、そのための能力を必要とするから。

ケアプランの目標の設定とそれにもとづく援助がそのようなものに近づけるなら、要介護高齢者の人生の最後のステージを輝いたものとし、尊厳あるケアを実現することができるのではないか。

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