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つぶやき

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高齢者と社会

「早くお迎えに来てほしい」と嘆く高齢者

ケアマネジャーが訪問するたびに「長生きしすぎた」「生きていても役立たず」「早くお迎えに来てほしい」とRさんは話す。同じようなことを口癖のようにつぶやく高齢者は少なくないことはよく知っている。しかしRさんは少し違っていた、そのうちお医者さんに行くのをやめた、当然薬も飲まなくなった。食事も食べたり食べなかったり。この時、ケアマネジャーは「この人は確信犯だ」と思わざるを得なかった。もともと絵を描いたり、季語がないから多分川柳だと思われる句作を趣味としていた人であるが、そうした趣味にも蓋をしてしまったかのようであった。ある時ケアマネジャーが余分なことを言ってしまった。「ヨーロッパには安楽死ができる国があるそうだ」と。それ以来しばらくRさんの興味は「ヨーロッパのある国」と「安楽死」にあったようだ。

98歳になり、安楽死を希望して、どうしたらそれが叶うのか、真剣に尋ねるRさんに対し「そんなことはできない」と、話をはぐらかすことしかできないのか。ケアマネジャーは真剣に考えた。ものの本によれば「役割の喪失」と「社会的孤立」が高齢者の生きる意味を見失う原因となると。一人暮らしで、子供や孫は都会に住んでいるRさんにとって、家族の中での役割を見つけることは困難だと思った。それではデイサービスに行ってもらおうと、いやがるRさんを説得し週3回のデイサービスに行ってもらうことになった。最初は嫌がったが、そのうち慣れたのか「あそこは面白い」と言い休まず参加していた。デイサービスの職員からもRさんはいろんな活動に対しても積極的に取り組んでいる、との話を聞いていた。それでもケアマネジャーが訪問するたびに「長生きしすぎた」「早くお迎えに来てほしい」という言葉がなくなることはなかった。

ある時、一人暮らしの生活を心配した都会に住む子供たちから「ぜひ施設入所をさせてほしい」との電話が入る。本人は「気ままな今の暮らしがいい」とその話には乗り気ではなかった。しかし子供たちの熱心な説得と、今の生活に不安を感じることも本人の気持ち中にあったのだろうか、話は進み、ある特別養護老人ホームの通称「ロングショート」と呼ぶ連続した短期入所を利用することとなった。

1カ月ほどたった時、施設の職員に話を聞く機会があった。部屋で一人にいることはほとんどなく、同じ入所者の中に溶け込んでいます。時々は絵をかいたりして趣味の活動も行っています。「早くお迎えに来てほしい」と言うことはありませんか、という私の問いに、Rさんからそんな言葉は聞いたことがありません、とその職員は答えてくれた。

決してこちらが意図して施設での生活を進めたわけではないが、Rさんの心の中に「ヨーロッパのある国」や「安楽死」というキーワードが消えているとすれば、施設の生活はRさんにとって素晴らしい終の棲家になっているのではないかと考えた。

折から、カンヌ国際映画祭で早川千絵監督の「PLAN75」という映画が話題になっている。映画の中身は、日本のある将来、75歳になったら死を選べる制度ができた、という設定で生きることの意味を考えさせる内容だと聞いている。主演が倍賞千恵子だというから何が何でも見なければと思っている。それにしても、高齢者が生きる意味を考えなければならないほど、日本の今は危ういのかもしれない。

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