救急現場で心肺蘇生を拒否する高齢者の家族
119番通報で素早く駆けつけてくれる救急隊は、市民や地域で療養する高齢者にとって心強い存在である。救急隊の素早い処置によりその命を助けられた人の数は知れない。
90歳を十分に超えたKさんは、娘の介護を受けながらの自宅での療養を始めて10年目を迎えていた。最近はほぼベッド上での全介助の状態となり、会話は徐々に困難となり、今は意思表示もできない日々となっていた。主治医からも「もう長くはないね」と言われてもいた。娘さんの、最期まで家で看ていきたいという強い希望を受け、ケアマネジャーは主治医の訪問診療、訪問看護、訪問介護を利用しての、在宅での見取りを含めた介護の体制を作った。もし何かあっても主治医や訪問看護師の連携で在宅での見取りを行うと決めていた。
ある日、ヘルパーさんが訪問中Kさんの状態が急変した。ヘルパーさんはKさんが呼吸をしていない状態を見て119番へ通報し、救急隊は当然のように心臓マッサージをはじめ心肺蘇生を行った。あばら骨が透けて見え、まさに骨と皮だけのKさんの胸を圧迫し続け、度重なるAEDの施行は、自宅で穏やかな死をのぞんでいた娘さんにとっては耐え難いものであったのであろう、何度も救急隊の隊員に心肺蘇生の中止を訴えた。現場に急行していたケアマネジャーもこの間の経緯を説明し心肺蘇生の中止ができないかを話したが、こうした願いは救急救命を旨とする救急隊の隊員の聞き届けるところとはならなかった。その後、病院に搬送されたKさんは病院で死亡確認されることとなった。
DNARという考え方があるという。DNARとは、Do Not Attempt Resuscitationの略で、患者本人、または家族など代理者の意思によって心肺蘇生法を行わないことだという。
この問題については、日本臨床救急医学会が平成29年「人生の最終段階にある傷病者の意思に沿った救急医療の現場での心肺蘇生のあり方に関する提言」の中で、傷病者が心肺蘇生等を希望していない旨を現場で伝えられた場合に、救急隊がどのように対処すべきかに ついての基本的な対応手順等を学会として取りまとめたものを発表している。さらに「平成30年度 救急業務のあり方に関する検討会報告書」( 平成31年3月 消防庁)によれば「近年、高齢者の救急需要が増加する中で、救急現場において、傷病者の家族等から 本人の心肺蘇生の中止の意思を示される事案が生じており、一刻を争う差し迫った状 況の中、救急隊が対応に苦慮することが課題となっている。」として「心肺機能停止状態である傷病者の家族等から、傷病者本人が心肺 蘇生を拒否する意思表示をしていたことを伝えられた場合の対応方針」という問いに対し、 対応方針の有無は、「定めている」が 45.6%(332 本部)、「定めていな い」が 54.4%(396 本部)となっている。救急隊員は、蘇生の拒否を告げられると、1分1秒を争う状況の中で、どうすべきか判断しなければならないというなかで、救急隊員がどのように対応すべきか、全国で統一されたルールはまだない
こうした中で今回のKさんのように、119番通報で出動した救急隊員が、現場で家族から、本人や家族が心肺蘇生を望んでいないとの意思を示される事例は決して珍しいことではない。地域包括ケアシステムは、「地域の実情に応じて、高齢者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能 力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう医療、介護、介護予防、住まい及び自立した日常生活の 支援が包括的に確保される体制」と定義されているが、Kさんの今回のケースは地域包括ケアシステムを構築していく中での一つの課題となるのではと考えさせられた。