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ケアマネのつぶやき

子供に引き取られた高齢者は幸せか

 親の介護は今も昔も人生の大きな選択肢の一つである。ただ、時代とともにその形は変わっている。かって大家族という家族のカタチがあった時代は、家庭で老いた親を看ることはごく当たり前だった。そして介護者は主に嫁と言われる人がそれを担わされた。

 今や、介護を社会の仕組みとして支えていこうというシステムが作られ20年余を経過している。そこでは在宅での生活が困難になると施設や高齢者住宅に入居してサービスとしての介護を受けながら暮らすことが当たり前になっている。

 子と同居している高齢者は今や少数派である。長年離れて暮らしていた親子が、老親の介護という問題に直面した時、その選択の時期が訪れる。年老いて親を看るのは子の責任という考え方がなくなったわけではない。そうした意識を強く持つ子供たちは、年老いて介護が必要な親を引き取って自宅でみるというケースがある。ところがこれがなかなか難しい。たとえ親子とはいえ、長年離れてそれぞれが作ってきた家庭がある。そこには親子以外の人も介在する。そして新しい家族の関係を一から作り直すことが求められる。高齢者にとって新しい環境に適合していくことは必ずしもたやすいことではない。しかも娘が嫁ぎ先の家に親を引き取った場合は、夫や子供たちへの遠慮もある。さらに、そこにその親子が過去において、例えば子育ての過程で何らかの確執を抱えていたとすれば話はもっとややこしくなる。

 長年一人暮らしをしてきたAさんは身体の衰えを感じる日々が続き介護認定申請を行い要介護1の認定となった。週1回のデイサービスを利用していた。ケアマネジャーは、ヘルパーを利用して困難な布団干しや掃除の支援を提案していたが、気丈なAさんは、自分のことは自分でやるという気持ちが強く、そうしたケアマネジャーの提案を受け入れることはなかった。そんなことが2年ほど続いていた。その間、隣町に住む一人娘の姿を見ることはほとんどなかった。ある日訪問したケアマネジャーに対しAさんは、来月から娘のところに行き生活すると告げた。かねてから「親の面倒は子供がみて当たり前」と語っていたAさんは笑顔で嬉しそうに語ってくれた。

 娘の家の日当たりのいい、そして一番トイレに近い一部屋がAさんの新しい生活の場であった。ところが訪問するたびにAさんから語られるのは娘や今の暮らしに対する不満ばかりだった。「何をするにも娘の許可が必要なうえに娘の機嫌の悪いときは怒られるばかり。こんなに生活になるなら、前の家にいたほうがよかった」と。

 娘には娘の言い分がある。「世話になっているのだから、自分の主人にひと言ぐらいお礼の言葉があってもいいのにそれもない。自分のことばかり言ってこちらのことも少しは理解してほしい」「母親の顔をみるだけでストレスがたまる。ついついきつい言葉も出てしまう」。

あるとき娘さんは、「父親は酒ばかり飲んでいて仕事もあまりしなかった。母親は仕事で家に帰ってくるのは夜遅く。母親からは自分が愛されていると思ったことは一度もなかった。」「そんな母親に対し、一人娘だから親の面倒を見るのは仕方ないと思うが、なんで自分があの母親の面倒を見なければならないかという思いがある」と語ってくれた。一人娘として親をみるのは仕方ないという義務感と、日々の介護の負担感と親への思いの間で揺れる娘の心情を聞くのがケアマネジャーの仕事になった。同時に家族とはいったい何なのかとの思いを強くした。

少しづつ介護量が増え要介護3になったとき、娘は施設入所を申し込み、間もなく特別養護老人ホームへ入所となった。1週間後に施設に入所するというAさんを訪問した時、「もう一度家に帰りたかった」と話してくれた。

 老親の介護が必要になった時の子供たちの選択に決まった正解があるわけではない。子供たちも悩み、老いた親も心惑うことが多い。ケアマネジャーはその高齢者の最期の時が心穏やかであることを願い、同時に子供たちにとっても、最期に親を見送ったとき「よかったね」と思ってもらえるような道を模索する日々である。

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