この子を残して・・ 中田重顕
日本の八月は死について深く考えさせる。月遅れのお盆がある。日本人だけで三百十万人が死んだあの戦争の終わった日もある。
私の祖母は十八歳の末っ子を戦死させた。私は祖母が健在なとき何度も聞いた。
「祖母ちゃん、末っ子の戦死公報が入ったとき、一緒に死のうと思わなかったけ」。
祖母は、「他の子がいなけりゃとっくに死んだよ」と答えた。
この世で子どもに先立たれるほどの悲しみは他にない。今年の初盆でも、子どもを祀る友人が居た。お詣りして、弔意ヲ云う私の方が泣いてしまった。
今は組織も運営形態も変わってしまったので接触はないのだが、私はある時期、重度障がい児(者)をお持ちのお母さんたちの会の管理運営委員長をしていたことがある。名前は仰々しいのだが、権限も仕事も全くない役職。その会は、母親たちが一生懸命運動して行政の支援を受けて授産所をつくり、みんなが集まれる組織だった。
一年に一度だけみんなで温泉旅館に一泊するのが大きな行事だった。関わっているのはみんな女性なので、男の障がい児(者)と一緒に風呂に入るのが管理運営委員長の唯一の仕事だった。
普段苦しい日々をおくっているだけに、お母さんたちはその日、僅かな酒を飲んで楽しい時間を過ごした。そして、そんな時、お母さんたちは言うのである。
「この子より一日だけ長生きしたい。長生きしなければならないの」
彼女たちの子どもはみんな一人では生きられない重い障がいをもっている。
私はそれを聞きながら、激しい憤りを覚えた。この世で子どもに死なれるほどの不幸はないはず。それなのに、母親たちはこの子を看取ってから死にたいというのである。つまり、親なきあと、この子たちが社会に守られて幸せに暮らせると信じられないのである。
私たちは高度な文明国家、福祉国家をつくったはずではなかったか。親が障がいを持つ子を残して安心して死ねないのは、私たちの社会の恥でなければならない。
今年、難病を持つ子に先立たれた親は「これでよかったのかも知れない」と寂しく呟いた。 一日も早く、誰もが子どもを残して安心して死ねる社会を築かなければならない。そんなこと思いつつ、今年の八月も過ぎていった。