世代間対立とエイジズム
「2025年問題」と称して政府は国民に警鐘を鳴らし続けている。その中身は、戦後間もなく生まれた団塊世代が後期高齢者となることで、社会保障費の負担増や人材不足が深刻化する問題のことをいうのであるが。こうした宣伝は一面では若者と高齢者の対立をあおる風潮を助長し、高齢者を生きにくくさせている。
ネット上での昨今の高齢者に関する意見は、高齢者全体に対する恨みのような感情さえ伝わってくる。年金だけでは生活ができない高齢者がいても、「私たちの世代は年金をもらえないのに、ずるい」「資産形成をしていないから自己責任、自業自得」「早く死ね」などの言葉もネット上で飛び交う。
2023年1月、イェール大助教授で経済学者の成田悠輔氏が述べた次の発言がネット上で注目をあびた「僕はもう唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと」さらに「やっぱり人間って引き際が重要だと思うんですよ。別に物理的な切腹だけでなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて、過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎるというのが、この国の明らかな問題」などと話したとして紹介された。成田氏の話は極端な表現を用い、あえて炎上を意図したものかもしれないが、いずれにしても世代間の分断、対立をあおったものである。
こうした高齢者を「生産性がない」「厄介者」「老害」とする主張は無視できない意識として社会の中に存在している。時として政治家がポロッと本音を漏らして非難の対象となったりしていた。イェール大学公衆衛生大学院の疫学教授であるベッカ・レヴィは、社会には「暗黙のエイジズム(Implicit ageism)」があり、それはほとんどネガティブなものだと述べている。こうした「暗黙のエイジズム」が今や公然と主張され世代間対立をあおっているのである。
エイジズムとは、年齢に基づいたステレオタイプや、偏見、差別のことをさす。すべてが年齢という一面的なモノサシで人を判断しようとする「エイジズム」は「いい年をしてこんな格好をするなんて」「~するには年を取りすぎている」といった無意識な年齢差別の表現のように日常の中で我々の意識の中に存在している。
エイジズムによる問題の本質は「無意識な権利の侵害」と考えられる。「老人は人生の舞台から降りるべきだ」「高齢だから仕方ない」と片付けてしまうことなども人権侵害にあたる。
高齢者を「役に立たない存在」「現役世代に負担をかける存在」とみなす点は、レイシズム(人種差別)とセクシズム(性差別)と同様に強者・多数派の側が弱者・少数派を見下す視線と共通している。
老いることは自然なことで、老いない人はいない。成熟社会において平均寿命が延び、高齢化していくのは避けられない中で、生きづらい老後を過ごさないといけない。エイジズムが絞めているのは「他者」である老人の首ではなく、まさに将来の自分の首だということを忘れてはいけない。