かけがえのない宝物ー1
――看取りを考える1――
私が、ケアマネジャーとして仕事をする時、心の源になっていることがあります。
自分が生まれてきた意味について悩んだ青春の日「人のお世話ができるような仕事がしたい」と心に決めて看護学校に進んだはずだったのに、心ならずも看護の現場から離れて働くこととなり、その間ずっと「いつかきっと」と温め続けたその思い。
そして、嫁家の祖母や義父母・母など、家族を介護し看取りをする中で得た、宝物のような体験です。
次の文は、20年近く前に町広報の方にペンリレーの寄稿を頼まれて書いたものです。
135センチ25㎏もあったでしょうか。
ひ孫が生まれて、家の中でばぁちゃんと呼ばれる人が二人になると、小柄なひいばぁちゃんは「ちっちゃいばあちゃん」と呼ばれるようになりました。
ちっちゃいばぁちゃんと話していると、気持ちが和んで、素敵な自分自身と出会うことができました。近所の人が入れ替わりやって来ては、おしゃべりを楽しんでいきました。
ばぁちゃんはいつも畑で働いていました。地表をなぜているほどにしか見えないのに、できた野菜は見事なものでした。
昔のことも今の事もそれはよく覚えていました。ある檀家の系譜を作るために、菩提寺のご住職がテープレコーダーをさげて、ばぁちゃんに話を聞きに来た時には、子供のころ見聞きしたことを、まるで昨日のことのように話していました。
九十を過ぎても病知らずのばぁちゃんでしたが、風邪がもとで臥せりがちになり、それからは、お風呂に入れるのは私の役目になりました。
風呂場は家の外にあります。ベッドから風呂場まで、ちっちゃいばぁちゃんの体は私の腕の中で、私の歩調に合わせて揺れていました。湯船につかって「気持ちゃええ」とろけるような顔でした。
そんなある日、湯船につかるばぁちゃんの体を両手で支えていた時、突然、電流のような感動が、私の心を貫きました。
『百年に近い歳月、この人の上に、どんな出来事が、どれほど沢山の思いが、行き過ぎたことだろう。その命が、まもなく燃え尽きようとしている。 かけがえのない、その時間を、私はこうして共有させていただいている・・・』
そう思った瞬間、急に辺りが茜色に輝き、まぶしくなったような気がしました。
ばぁちゃんの放つ残照に、照らされているかのような、ふしぎな感覚でした。
それから間もなくの春の彼岸、風呂に入ることも話をすることもできなくなり、九十九年間打ち続けたばぁちゃんの胸の鼓動は、家族が見守る中で静かに動きを止めました。