利用者の自己決定とケアマネジャー
88歳になる要介護3と認定された一人暮らしのHさんがいる。特に大きな病気はないが足腰が弱って、何かにつかまらないと移動が不安定で、よくこける。多少物忘れはあるが、年相応と言えばそれなりに納得できるような程度である。外に出ることはほとんどなく、毎日テレビを見て過ごしている。テレビに飽きるとベッドに寝ている時間が多い。週2回訪問をしてくれるヘルパーさんを心待ちにしているようだ。その時だけ、日頃忘れかけた世間の話や、テレビで見たコロナウイルスの話が堰を切ったようにHさんの口からあふれる。
そんなHさんにケアマネジャーはデイサービスを勧める。デイサービスに行くといろんな人とお話ができるし、ゲームや体操は認知症の予防にもなると、この2年間、訪問するたびに話し続けてきた。しかしHさんは頑としてケアマネジャーの提案を拒否する。いつも「私は一人で静かにこうして生活してきたしこの生活でいい」という答えは変わらない。最近は、さすがにケアマネジャーも根負けをしたのか、意識して触れようとしないことにしている。
ケアマネジャーは、デイサービスを嫌がっていた人が、行ってみて「こんな良いところにもっと早く来ればよかった」と言って喜んでもらった、という経験を少なくなく持っている。そして多分、いつもテレビの画面とくすんだ天井を見続けているHさんの生活にとっても、それはとても良いことだという確信に近い思いを持っている。
ケアマネジャーが利用者にとって良かれと思うことと、利用者の思いが異なることはよくあることである。ケアマネジメントの教科書的な言い方をすれば、「利用者の思いや、生活全体のアセスメントを行い、利用者の真のニーズをあきらかにして・・・・」ということになるのであるが、現実はそんなことでは一歩も進まないことが多い。ケアマネジャーのこうすればいいという思いが強いと「これは困難事例で・・・」なんていうことにされてしまう。
人が生き、生活することに、果たして正解というものがあるのだろうか。自分自身でも日々の生活の中で、今日はどこに行くか、雨が降るからやめておこうか、悩みながら決めていく。そのことが正解だなどという確信はない。ましてや自分の人生を振り返って、これが正解だったかどうか怪しいものである。だから、たとえ利用者の決定が、ケアマネジャーからみて不合理なものであつとたしても、利用者の自己決定は尊重されねばならないと思っている。その利用者の人生を決めるのは、最終的にはその人しかないのである。
もちろん何もできないし、しないでいいということにはならない。その利用者の決定によるリスクマネジメントは重要なケアマネジメントの仕事であり、利用者の意向をケアチーム全体で評価し、合意しておくことは大切であろう。柿の実が熟して大地に落ちるのを待っている蟻のように、時の熟すのをひたすら待つのもケアマネジャーであると考えている。