ケアマネジメントと多様性
介護保険制度の中で長い間仕事をしていると困ったことがある。介護保険の現場での運用にあたってはこまごまとした規則や規制がある。例えば、ヘルパーは利用者の服薬がうまくできるように手助けできるのは、一包化された薬でなければならず、そうでない場合ヘルパーの服薬の管理はダメ、ということになっている。こんなこまごました規則が数限りなくあり、それらをしっかり頭に叩き込んで仕事をすることが求められている。ここでは利用者の実態より介護保険の規則や制度にケアマネジャーの注意が向けられることになる。
介護認定申請をすると要支援1から要介護5までの7つに区分された介護認定を受けることになる。どの介護度に認定されるかにより、施設入所ができるかどうか、利用できるサービスの種類やその量も違うので、ともするとケアマネジャーの頭の中には要介護3の利用者という分類が出来上がり、その範囲の利用者像ができてしまう。ここでは利用者の足に合わせた靴を提供するのではなく、利用者の足を靴に無理やり合わせていただく、というような思考になりがちである。
我々が対象とする利用者は実に様々な営みの中で暮らし生きてきたのであり、家族も、その人が暮らす地域もさまざまであり、我々は利用者とひとくくりに呼ぶが、ただ一人として同じ利用者はいないのである。まさにそこにあるのは多様性そのものなのだ。
介護が社会保険という全国一律の制度の中で行われる以上、こうしたこまごまとした規則や制度で運営されていくことはやむを得ないことなのであるが、ここで生まれる現場の多様性と制度上の規則の矛盾の最前線で悩むのはケアマネジャーである。こうした現実の中で、ともすると現実の利用者の暮らしの多様性に目をつぶり、ひたすら規則やこまごまとした制度の中で仕事をすることに汲々として、利用者に寄り添い、悩み、自らの頭で考えることを放棄してしまいがちになる。そして現にそうしたするケアマネジャーかいることも事実である。
前回の,ケアプランの書き方をめぐっての記事の最後に書いた「いずれにしても、利用者や家族の生活、生き方、そして抱えた問題は極めて多様なものである。だとするならばケアプランの記載内容も決して一律なものではなく多様なものであっていいと考える。」ということにつながるのである。せめてケアプランぐらいは、こまごまとその書き方まで指示されることなく、利用者の多様性を反映させた、ケアマネジャーの自分の頭で考えたものであってほしいと思うのである。
こんなことを考えていた時、12月19日付中日新聞の「視座」に法政大学前総長の田中優子さんの多様性に関する次のよう文章に接したので、ここであえて紹介させていただく。「制度や規則や社会規範をいくら厳しくしても、現実を生きる人間の多様性を排除することはできない。しかし完全に埒を開くこともできない。何らかの分類を受け入れつつ、そこからはみ出す自分や他者を抑圧することなしに、別世(現実とは異なる次元)で出会い、関わり、表現していきたい。」最後の「別世」が何を意味するのかよくわからないが、介護保険の中でのケアマネジメントは、人間の持つ多様性との矛盾を抱えつつ、いやその矛盾を一層深めつつあるという認識だけは確認できるのではないか。時代のキーワードは多様性である。